このブログを見てくださっている方ならご存じだと思います。
もう今から20年ほど前ですが
日章学園のフライ級の超天才ボクサー青野巴哉選手。
わたしはこの選手を初めてインターハイで見かけたとき、衝撃を受けました。
当時わたしは高1(青野さんは高3)
詳しくはこちらをご覧ください。
と、いまだに忘れることはない方なんです。
そんな思いを書いたこの記事をたまたま読んでくださったのが何と、青野さんを1から育て上げた日章学園ボクシング部を作られた先生の息子さんでした。
奇跡です。
(ちなみに前回の粟生隆寛氏について書いた記事にご本人がコメントくださってますのでご確認ください笑)
そして、先生の息子さんが宮崎からわざわざ青野さんのプロテスト~プロ2戦目(その後引退)までのDVDを送ってくださりました。
そこには、私が高1の時に口をぽかんと空けてただただ眺めていたあの青野巴哉選手がいました。
以前ブログに人生のバイブルとなってるボクサーについて書きました。すると何とそのボクサーを育てた先生の息子様からDMを頂き宮崎県からDVDを送ってきて下さりました!
そこにはプロデビュー戦の18歳フライ級とは思えないボディを打つ青野巴哉選手がいました。涙が出ましたhttps://t.co/j3uVnUt8dD pic.twitter.com/wTOPQR8O94— 山田BODY (@yamada__body) April 12, 2020
ボクシングで結果を出し、観客の記憶に残る選手というのはいつもブレない何かを持っています。
それはいかさまジャッジや、相手のラフボクシングで結果が思いもよらないことになってしまったとしても
記憶にずっと残ります。
記録なんかより、記憶にずっと残ります。
青野巴哉選手が、当時の山根明率いる不正だらけのアマチュアボクシングで、
わたしがたまたま高1の頃に観た試合。
謎の反則を取られまくる青野さん(絶対、裏で操作されていたはず)が相手をボディで倒し
カウント後、再びクリンチしにくる相手を振りほどきパンチを畳みかける姿は20年たった今でもはっきりと覚えています。
「記録より記憶」
まさにそんなボクサーでした。
(高校日本一になっておられますので記録にも残ってるのですが)
でもいまだにたまに思います。
もう少し青野さんのボクシングが観たかったなぁ・・・
※実家の部屋に当時ずっと飾っていた青野さんのポスター
◆著者◆
ボクレッチ(ボクシング&ストレッチ)トレーナー・芸人
山田BODY
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